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その日にあった事などを気が向くままに書いていこうと思います。
是法神社
2009年10月19日 (月) | 編集 |
昨日のコンサートの後、是法神社に寄りました。県劇から車ですぐです。
是法神社
「あれ?この前行ったんじゃ?」と気づいた人もいるでしょう。あの時は幟の写真も逆だった

そうです!この前のご利益ウォークの時に行きました。必死に追いついて、ささっとお参りしたので、その時もらった紙を読む余裕もありませんでした。


帰って、紙是法神社の成り立ちなどを書いた紙を読んで「いつかきちんとお参りしたい」と信心深い私は思ったのです。

書いてあるのを簡単に説明すると、細川家第2代忠興公の子(タカコ)が守役の侍「黒木竹之進」と恋仲になったけど、身分違いから猛反対され心中してタカコだけ死んだ。1年後、竹之進も故郷で後を追って自害した。忠興の後の忠利がその話しを聞いて、お寺を建立して観音様を作ったとあります。

この観音様かな?と思うけど、すごく新しくラジカセでお経が流れていました。神主さんに話しを聞きたかったけど、姿は見えなかった
観世音 観音様
先祖がの私としては、他人事のように思えなくてですね~涙 タカコは側室の子だから姫ではなかったかもしれないけど・・・

後、「放牛地蔵」もありますが、この話しも泣かせます。
放牛地蔵
280年前に貧しい鍛冶職の親子が住んでいて、酒好きの父の為10の息子は野菜売りをして家計を助けていたそうです。ある日売り上げがなく、酒が買えず間口に佇んでいると「酒は買ってきたか、何をぐずぐずしている?」と短期な父が投げた火吹竹が、表を通っていた武士の眉間に当たって流血してしまった。怒った武士は父を斬り伏せた。息子は「もし自分に当たっていたら父は斬られなかったろう・・・父を殺したのは自分だ」と悲しんで、父の菩提を弔わんとして仏門に入り、名を「放牛」と改めて石仏を建立して大願を達成した。現在各所に点在する放牛石仏には、このような悲しい物語が秘められていると書いてあります。

ちなみに、是法神社の「放牛地蔵」は107体のうちの92番目の石仏だそうです。

興味がある人は行ってみてはどうですか?
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