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その日にあった事などを気が向くままに書いていこうと思います。
青井神社
2008年04月30日 (水) | 編集 |
いよいよ真打登場キラキラ星 旅の終わりは国宝になった青井阿蘇神社です。慶長14年(1609)から4年の歳月をかけて造営されました。駅から徒歩5分だから便利です。

余談ですが、ここから徒歩5分の所に有名な好来(ハオライ)ラーメンがあります。国宝になって観光客も増えるでしょうから、もう少し周りにお店が出来たらいいですね~駅近くにも目ぼしいのはないし・・・
鳥居と楼門
参道から

楼門・・・1613年建立
正面

軒下の神面・・・私は左右で一対かと思って写真に撮ったけど、左右にもう一つずつ神面があり、陰陽一対(阿吽の形相)が珍しいのだそうです・・・しまった~ase
右神面

左神面

天井・・・龍の絵が描いてありましたが、消えたのではなく消されたそうです。これは夜な夜な水を飲みに来た龍が、人々を怖がらせていて、どうにかしなければと後を追ったら、天井から水がしたたり落ちていて「この絵が抜け出していたのだ!」と、みんなで絵を消したという言い伝えが・・・
天井の龍

写真は撮り忘れましたが、楼門には二十四孝のうち4つが描かれています。
二十四孝(にじゅうしこう)は、中国において孝行が特に優れた人物二十四名を取り上げた物語です。

郭巨・・・郭巨(かくきょ)の家は貧しく母と妻を養っていたが、母が自分の少ない食事を孫に分け与えているのを見て「我が家は貧しく母の食事さえも足りないのに、孫に分けていては母が死んでしまう。子供はまた授かるだろうが、母親は二度と授からないから、子供を埋めて母を養おう」と言いました。妻は泣きながら三歳の子を連れて埋めに行き、郭巨が地面を少し掘ると黄金の釜が出、その釜に文字が書いてありました。“孝行な郭巨に天からこれを与える。他人は盗ってはいけない”と。郭巨と妻は黄金の釜を頂き喜び、子供と一緒に家に帰って更に母に孝行を尽くしたという話し。

董永・・・董永(とうえい)は幼い時に母と別れ、家は貧しく足の悪い父を小さな車に乗せて田んぼに連れて行き、農作業をしていました。父が亡くなると葬式をしたいと思ったが、お金が無いので身売りをしてその金で葬式をしました。身請け主の所へ行こうとすると、途中で一人の美女がいて、「私は董永の妻となるべく、絹を織って身請け主に届け許されました」と言いました。そして董永の妻となり、最後に「私は天の織姫ですが、貴方の孝行な心に感じて天が私にお命じになりました」と言うと、天に帰って行ったという話し。

朱壽昌・・・朱壽昌(しゅじゅしょう)は、七歳の時に父母が蒸発してしまったので母をよく知らない事を嘆きながら、五十年経ちました。ある時朱壽昌は役人の職も妻子も捨て、自らの血でお経を書いて天に祈っていると、秦と言う所に母がいると告げられ、遂に母に会う事が出来たという話し。

老莱子・・・老莱子(ろうらいし)は、七十歳になっても、派手な着物を着て子供の格好になって遊び、子供のように愚かな振る舞いをしました。また親の為に食事を運ぶ時も、わざと転んで子供が泣くように泣きました。これは、老莱子が七十歳の年寄りになって、若く美しくない所を見せると、息子もこんな歳になったのかと思い親が悲しむのを避け、また親自身が年寄りになったと悲しまないように、こんな振る舞いをしたという話し。

今度行ったら、じっくり見ようと思います。

長くなりましたが、ようやく拝殿です。1611年建立、拝殿の横に神楽殿があります。
拝殿

幣殿・・すごい彫刻です。1610年建立
幣殿

本殿の入り口・・・左右の彫刻は確か龍だったと・・
本殿の入り口

本殿・・・1610年建立 説明聞いたけど忘れました~あせ
本殿

う~ん、あらためて見るとすごい物なんですね。寝る


コメント
この記事へのコメント
よかったですね~国宝。県下唯一ですね、観に行きたいものです。以前は、熊本城も国宝だったんですけど。
2008/05/01(木) 12:56:49 | URL | tea #-[ 編集]
青井神社も、昭和8年に一度国宝になっていますよ。昭和25年の法改正で国指定の重要文化財になったんですって。
2008/05/01(木) 20:11:20 | URL | コロンです #-[ 編集]
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